第86話   老舗「黒石釣具店」   平成16年03月13日  

まだ小学校(昭和20年代)のころ酒田の旧市街の中町には黒石釣具店、加藤釣具店、富山釣具店の三つ軒の釣具店があった。他にも釣具屋は沢山あったのだが、子供の頃はほとんどこの3軒しか行った覚えがない。

その中の黒石釣具店は、三代続く釣具店で一番古く一番大きく品揃えも豊富であった。現在は酒田大火後その跡地は駐車場ビルに変身して、店舗は光ヶ丘へと移転している。現在の当主は三代目の昭和7年生まれの石黒昭七さんであるが、当時はまだ二代目が営業しており店の奥の方ではいつも幾人かの若い衆がいて竿を作っていた。春になると出来上がった新竿が店先の竿棚にずらりと並び、手頃な価格の竿を振って見るのが何よりの楽しみであった。

この頃は、釣具店の親父さんの好みによりそれぞれ店で、釣の対象魚にもよるが多少異なるが皆それぞれ特徴を持ち軟らか目の竿、少し硬めの竿、粘りのある竿など色々と特色があった。子供のお小遣いで買える竿などたかが知れているので安竿しか買えなかったが、それでも店頭に並んでいる竿を幾度となく数を振っている内に自然と竿の良し悪しが分かってくる。そして自分の好みの竿も出てくとなけなしの小遣いで買った。

少しでも出来の良い竿を見分けるコツを覚えるには最低56年はかかった。出来るだけ安い竿で、少ない小遣いの中で買えるものでと云う制限があったのでどうしても竿の良し悪しを覚える必要があったのである。また、出来るだけ安く買うコツは自分の顔を覚えてもらうことが大事であった。そして幾度となく通って、顔を覚えてもらい親父や店員と仲良くなり交渉する。これが良い竿を安く買うコツであった。子供のときの浅知恵である。でもそれで結構得した覚えがある。

以来40年竿作りをしていた釣具屋さんは亡くなり現在では竿を作っているのは老舗の黒石釣具店しかない。一頃はあんなに数多くあった竿を作っていた釣具は皆姿を消してしまった。竿を作って数十年途中家を出てブランクがあったようだか、店に戻り流石三代培った家の技術は衰えることなく続いている。しかし、そんな昭七さんも現在70歳である。残念ながら親子3代の竿の技術の後継者はいない。

について話す時の彼はたいしたもので熱情を込めて生き生きとして語る。現在庄内竿を作っている釣具屋さんは酒田では黒石釣具店、鶴岡ではトキハワ釣具店くらいなものでしかない。



追 記

今年の二月の初旬に昭七さんに会いに行った。昨年九月に会った時は「庄内竿の本を書きたい」と云っていたのでその後どうしているかと思っていたからである。彼の手元には先代の弟子が書いたという、庄内の主な竿師の批評が書いてある書付があった。それを基にして「自分が生きているうちに何かを残しておきたい」とも云っていた。
一昨年当たりから肝臓が悪く入退院を繰り返していた。今日は何かお顔が軟らかく感じられた。「元気ですか?」と云ったら「最近は食欲が無い」と云った。「今年は竿は作らんですか?」「竹は何本か切ってきたけど、まだ作っていない」と云う。その時は余程体調が悪いなと思って早々に店を後にした。
その後、半月位して他の釣具屋の店主から「黒石さんが亡くなったよ」と聞いて驚いた。最後にお会いして十日もならないうちに亡くなった事になる。

これで又、庄内から竿師が一人居なくなった。